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舞鶴鎮守府別館からの雑感

鎮守府別館から個人的な雑感を述べます。

辻田真佐憲著の『たのしいプロパガンダ』を読んだ雑感

前々から読もう読もうと思って買っておいたのですが、なかなか時間が取れずにようやく今読了しました。(汗

ざっくりと内容を紹介すると、古今東西様々な「たのしいプロパガンダ」の事例を紹介している本です。現代におけるプロパガンダについても紹介されています。さて、かいつまんで自分が読んで感じたことを書いていきましょう。

楽しくなければプロパガンダにならない

どこかの誰かが言った「たのしくなければテレビじゃない!」ではありませんが、似たような言葉がこの本の中に多々出てきます。その一つを抜き出してみます。

陸軍省新聞班の清水盛明中佐は、内閣情報部が主催した思想戦講習会で約百名の分武官を前に次のように語った。「由来宣伝は強制的ではいけないのでありまして、楽しみながら不知不識の裡に自然に盛興の中に浸って啓発感化されて行くといふことにならなければならないのであります」(『たのしいプロパガンダ』p.12)

私たちは何かを押し付けられるとそれに反発したくなりますが、その心理を考えて、楽しく自発的にその中に入っていくというのでなければならない。そんなプロパガンダの極意みたいなものを感じますね。Twitter上でよく見かけるアカウントの中に、戦中標語botなんてものがありますが、そこで流れてくる標語は今の私たちから見ると「は?」とか「ん?」と感じるものが多いので、戦中のプロパガンダはトンデモばかりだったと私は思っていたのですが、この本を読んで、様々な楽しいプロパガンダが作り出されていたのだと知ることができました。歌劇や映画、果てはお笑い芸人まで、ありとあらゆる宣伝の方法が動員されて受け入れられていた事実があったのを見ると何だかコミカルな感じがしてしまいます。

勿論Twitterのことも出てたよ

 勿論、この本の中ではTwitterをはじめとしたSNSのことについても触れられています。一番読んでいて身近に感じたのは「ロシアとウクライナツイッター合戦」という項です。この項において、覚えている人は覚えていると思いますが、Twitter上でロシア大使館ウクライナ大使館の日本語版アカウントがエアリプを飛ばしあって喧嘩していたのを主に書いています。こういうのも著者によるとプロパガンダの一種なのだとか。何でもかんでもプロパガンダというのは気が引けるような気がしますが、最初にプロパガンダの定義を決めて話が進んでいるため、筋は通った内容です。因みに著者のプロパガンダの定義とは

プロパガンダとは、「政治的な意図に基づき、相手の施行や行動に(しばしば相手の意向を尊重せずして)影響を与えようとする組織的な宣伝活動」のことである。(『たのしいプロパガンダ』p.2)

とあるので、この定義からすればプロパガンダに当てはまるというのは無理な結論ではないと思います。

私にとっては第五章が本番

さて、私がこの本を買った最大の理由にして一番注目した点なのですが、第五章日本国の政策芸術」が大変興味深く、今の私たちに繋がる部分だったため時間をかけて読ませていただきました。というのも、この本が「ガルパン」や「艦これ」など自分が好きなアニメやらゲームにまで言及しているため、何を書いているんだろうかと思ったからです。(というか、ネット上で「自民党の陰謀が!」とか「右傾化云々!」とか言ってくるトンデモが量産されたので、こういう書籍に対して実は最初は警戒心がありました)なおこの本の結論は極めてまっとうなもので、トンデモな結論などは書かれていません。正直この部分を読むためだけであってもこの本を買う価値があります。(おい

話を戻して第五章の内容を読んでみましょう。

永遠の0』や『艦これ』はともに第二次世界大戦中の日本軍をテーマにしている。それでいて必ずしも「悲劇」や「反省」を前面に押し出しているわけではない。それゆえ、こうした作品の流行が、指摘されて久しい日本社会の「右傾化」に大きく貢献しているのではないか。「右傾エンタメ」という言葉が普及した背景にはこのような人々の疑念があったものと考えられる。(『たのしいプロパガンダ』p.177)

うーん、正直「右傾化!」などと指摘しているのは一部の知識人やら文化人といった方々が多かったので日本社会が必ずしも右傾化しているのかどうかなどを語るのは早計かと考えています。そもそも、インターネットが普及した今の社会で情報を色んなところから仕入れることができる時代で、一つの作品で右傾化するなんてことができる時代ではないでしょう。実際批判している人がいるという事はそれだけ作品の捉え方が多種多様だという証左ですし。

第二次世界大戦をテーマにしているからと言って、「悲劇」やら「反省」を必ず前面に押し出さないといけないわけでもないでしょう。表現の幅を狭めることには同意できません。

本に戻って続きを読んでみましょうか

一方で、「右傾エンタメ」という言葉に対する批判も少なくない。たしかに定義はあまりに曖昧であるし、具体例も十分とはいえないからだ。また、戦争や軍事を扱っているというだけで「右傾化」のレッテルを貼るのは、まったく乱暴な議論ではある。(『たのしいプロパガンダ』p.177)

「右傾エンタメ」みたいな言葉ができて次にまた色んなレッテル貼りのための言葉が出てくるんだろうなと考えてしまいます。新しい言葉を次々と生み出してそれをレッテル貼りに利用する行為自体忌避されるべきものでしょう。それを諌める人が現れればよいのですが。さて、この続きとして著者が懸念すべきものとして挙げているものがあります。

だがしかし、二〇一五年六月になって、我々は新しい言葉に直面した。自民党の若手国会議員たちの勉強会「文化芸術懇話会」で使われた「政策芸術」という言葉である。与党の政策を浸透させるために、民間の「芸術」を利用したい。「政策芸術」という言葉からはこのような移行が強く感じられる。これは典型的な「プロパガンダ」ではないのだろうか。

塩素系の漂白剤と酸性の洗剤は、別々に使えば便利な道具である。しかし、両者を混ぜれば、有毒ガスを発生させて人を死に至らしめてしまう。これと同じように、自衛隊の広報と民間企業の商品が「政策芸術」を媒介として結合したとき、人々を戦争へと駆り立てる「楽しいプロパガンダ」という毒ガスを生み出してしまう可能性はないのだろうか。

確かにプロパガンダの危険性自体には同意しますし、実際に煽られた人々によって戦争に突入した時代がありました。しかし、私は現代においてその可能性は低いのではないかと考えています。というのも、先ほど示したように今の時代はインターネットで多くの情報を得ることができる時代です。一律的に価値観や考え方が同じなどということはあり得ません。懸念については分かりますが、そこまで危機感を覚えるような状態ではないのではないかと思います。

プロパガンダプロパガンダといいますが、萌えミリ(本の中に出てくるが)の受け取り方も読者によってそれぞれです。逆にプロパガンダになることを危惧することによって表現の幅を縮めてしまう事の方が危険でしょう。

自民党の芸術云々ですが、これについても実は私はあまり心配していません。かつて表現の自由に関するアンケートで補助金と創作のことについてのものがありました。回答は4つ「口も金も出して良い」「口は出さずに金を出して」「口も金も出さないで」「口は出して金はださないで」とありましたが、圧倒的に「口も金も出さないで」が優勢であったのを見ると、自民党による芸術のコントロールみたいなものは成功しないでしょう。表現の自由を元に創作活動を行う、表現の自由を守るという立場に立って行けば良いと個人的には考えております。

読み終わって

ここまで書評を書いてきましたが、プロパガンダについて知ることとはどのようなことかが書いてありました。引用します。

やはり歴史をその都度参照にすることが重要である。「楽しいプロパガンダ」の事例は歴史上に無数に存在する。それゆえ、その手法を学び、現代社会に当てはめてみることはそれほど困難ではない。こうした学習と思考実験――未来予想ではなく、あくまで思考実験――の丹念な積み重ねが、何よりも「楽しいプロパガンダ」に踊らされることを未然に防ぐのではないかと筆者は考える。

ここまで読んで、「たのしいプロパガンダ」について考え、学ぶことは歴史に触れる、自分を考えるという意味においても大変意義深いものでした。この本はそういった内容をかいつまんで分かりやすく示しています。「たのしいプロパガンダ」に興味がある人も無い人も読んで見て損はないと思います。

情報社会においてプロパガンダ的なものに踊らされず、また、過度に警戒せず今後も大好きな艦これやハイスクール・フリートを楽しんでいきたいと思います。さて、ハイスクール・フリートOVAの予約と艦これイベントの攻略を進めねば・・・。