舞鶴鎮守府別館からの雑感

鎮守府別館から個人的な雑感を述べます。

世間を騒がせている軍事研究とそれに付随したものに関する雑感

さて、以前Twitterにてこんなことを言っていました。

 という事で軍事研究とか自衛官の大学への入学拒否の話についてブログに書こうと思います。論点は色々あるのですが、先ず軍事研究の是非にでもついて考えてみましょうか。個人的には学問の自由との兼ね合いを考えてみましょうか。

はじめに

 さて、この記事を書くにあたって読んだものがあります。今回はこれを軸に話をしていきましょう。

ci.nii.ac.jp

この論文ですが、この記事を書くきっかけとなったTwitterアカウントの軍学共同反対連絡会が紹介していたものです。因みに、元々は自衛官の大学への入学拒否に関するつぶやきがもとで書くつもりだったのですが、せっかくなので軍事研究についても意見を書きたいと思います。

色々な論点がありますが・・・

さて、最近「軍事研究」が世間を騒がせていますね。発端となったのは防衛省の安全保障技術研究推進制度というものです。

防衛装備庁 : 安全保障技術研究推進制度

ざっくり言えば、防衛省が出したテーマに対して技術的な解決策を出せばその研究のために研究費を支給しますよーみたいな制度です。そして、何でこの制度が炎上した(?)というか一部の人達から文句を言われているのかといいますと

  • 兵器の開発が戦争につながる。
  • 学問の自由が脅かされる。
  • 憲法9条に反する。

などなど、色々論点があるようですが今回は「学問の自由」について論点を当てて記事を書きます。というのも、この議論の中でどうも「学問の自由」について焦点を当てて記事を書いたり論考を深めたものがなかなか見つからず、自分で書こうと思った次第であります。

軍事研究が学問の自由を脅かす?

このフレーズは軍事研究関連の新聞記事とか反対する集会の中でよく出てくるのですが、何故「学問の自由」を脅かすのかと言えば「防衛省によって特定秘密に!」というのが理由だそうです。ですが、当の防衛装備庁は研究結果については公開を原則としていると明言しています。

http://www.mod.go.jp/atla/funding/h28koubo_honsatsu.pdf

3.3 研究成果の外部への公開手続き

 本制度では、得られた成果について外部への公開が可能です。

このことから考えるに、研究成果が特定秘密になんてことはあり得ないと私個人は考えています。というより研究成果を特定秘密にってどういう状況なんでしょうか?

そんな事よりも私が注目したのは「軍事研究を禁止することによって発生する学問の自由の制限」です。これはどういう事かといいますと、「軍事研究」を禁止すれば当然それに抵触する研究ができなくなります。という事は、必然的に「学問の自由」が制限されてしまうわけです。よく軍事研究に反対する団体は声明において「学問の自由」を強調する割にはその一方で自分たちの思想のためにより生じる「学問の自由の制限」には大変無頓着です。これでは本末転倒ではないでしょうか?本来の目的は「学問の自由」の擁護ではないのでしょうか?ここで最初の矛盾が生じている訳です。

自由は規制されるべきなのか?

さて、ここで最初に示した論文に戻ってみましょう。論文にはこのように書いてあります。

大学にとって「学問の自由」こそが基本原則だが,そこには「軍事研究の自由」は含まれないと明言されているのである.私は,より一般的に,特定の集団の利益を目的とした「研究の自由」ならば制限されて然るべきである,と考えている.

つまり、一般的に出るような声明には書かれていませんが、示された論文の中には場合によっては「学問の自由」「研究の自由」は制限されて当然であると書かれています。もちろん、自由の範囲や解釈は人によって違いますし他者に対して迷惑をかけるようであれば制限は必要でしょう。しかし、本来であれば「自由」の制限は限りなく避けるべきです。というのも、かつて無数の生命が失われた上に築かれた自由の価値を考えればこれを擁護することは当然であってそれが制限するにはかなり慎重な姿勢を持つべきです。

この論文内において「軍事研究の自由」は含まれないと書かれています。ですが、「学問の自由」「研究の自由」を擁護するのであれば「軍事研究の自由」も当然擁護されるべき一つの自由です。ものによって自由を与えるかどうかといった事は決してすべきではありません。「理由があれば自由を規制しても良い」という事をより突き詰めれば「理由があれば差別しても良い」という事に繋がりかねません。

 自由というものの擁護において大切なのは「自分が嫌いなものであってもその自由を擁護する」という姿勢です。都合よく自由であってよいかどうかを決めるのは、本当に「自由」を脅かす存在が出た時に自由を規制する口実を与えてしまう事になりかねません。「学問の自由」「研究の自由」を守りたいというのであれば、「軍事研究の自由」も擁護するべきでしょう。

勿論、「学問の自由」は制限されるべきという観点に立って「軍事研究の自由」を否定することもできます。ですがその場合は「学問の自由を守る!」などとは言ってほしくはありません。

特定の集団のためだから制限しても良い?

前項において既に自由の制限の是非について書いているので、この件に関して私の結論は自明なのですが、一応付け加えて書いておきます。

特定の集団というのはおそらく軍隊のことでしょう。日本国内においては自衛隊です。

さて、特定の集団の利益になるからその研究はダメというのはいささか不可解です。なぜ軍隊だけがその利益を享受してはいけないのでしょうか?ここにおいても「差別の論理」がまかり通っている訳です。軍隊であっても社会の一部です。科学の目的が広く社会に貢献することであれば、軍隊も当然貢献の対象なのではないのでしょうか。

誰が自由を制限するか?

国の中で法によって自由を制限するには国会で法案を可決する必要があります。そこで審議を行う国会議員は私たちの選挙によって選ばれた人達です。自治体においても各議会が条例案を通じて自由の制限を行うことがあります。ですが当然選挙で選ばれた人達が審議を行います。

さて、一方で軍事研究の自由を制限する人達を見てみましょう。その議論が行われているのは日本学術会議です。日本学術会議は84万人の研究者を代表する団体と言われています。210人の会員と2000人の連携会員からなる団体です。その入会方法なのですが、誰でも自由に入れるというわけではなさそうです。というわけで調べてみました。

平成29年10月の日本学術会議会員・連携会員の半数改選に向けて|日本学術会議

これによると、

新たな会員候補者・連携会員候補者の選出は、現在の会員・連携会員が候補者を推薦し、日本学術会議自らが選考するコ・オプテーション方式によって行います。

だそうです。何だか中国共産党の優秀な者だけが共産党に入党して政治に関われるとかいう政治体制を彷彿とさせますが取り敢えず、民主的に先行するのではないという事だけは確かそうです。集中民主制とでも言いましょうか?

さて、自由を制限するのにこの体制は少々問題があるのではないのでしょうか。いわば、自分たちが関われない状態で勝手に自分たちの将来などを決められているのです。この様な団体が決める自由の規制にどれだけの正当性があるのでしょうか。少なくとも、国や自治体が法律を作るよりは正当性が無いのは確かでしょう。

私たち全員が同じ倫理と道徳を持てるのか?

私たち全員が同じ考え、同じ価値観、同じ倫理や道徳なんてことは通常ではあり得ない事です。それは、日本学術会議が軍事研究を行わない旨を採択しても米軍資金が流入したり、今回の安全保障技術研究推進制度に応募する大学や研究者が多数出現する時点で分かることです。

特定の倫理的規定を定めることや、それを作ること自体は私は否定しません。現に私も大学で技術者としての倫理教育を受けています。しかし、それはあくまで技術者や研究者にとっての一定の判断材料であってあくまで本人自身が自主的に判断すべきだと考えます。

軍事研究に反対する勢力はよ日本国憲法の9条を持ち出してきます。しかしその一方で第19条の思想及び良心の自由を否定しているような気がします。「○○に反対しなければいけない!」といった判断基準を技術者や研究者に押し付け過ぎではないでしょうか?平和を願う気持ちのあまり、別の部分で統制したり、自由を制限したりすることは正しい事なのでしょうか?私は違うと思います。

平和のためと言って価値観や思想の統制が許されるのであれば、中国や北朝鮮、あるいはどこかの独裁国家のよにな一定の思想でなければ批判され処断されるような政治状況をも許されてしまうでしょう。それこそ、軍事研究に反対する勢力が危惧する軍国主義と同じなのではないのでしょうか。

勿論、倫理規定というものはそこまで厳しいものではありません。しかし、今の軍事研究に反対する勢力を見ているとそんな危うさを感じてしまいます。

最後に

今回は「学問の自由」を中心としてブログを書きました。Twitterで考えていたことを自分なりにまとめてみました。軍事研究に関する記事などを見ているとどうしても情緒的な記事ばかりが目についてしまい、何だかなあという気分になっていました。今回私が書いた記事で「学問の自由」「研究の自由」について考えるきっかけとなったら幸いです。次は自衛官の大学への入学拒否問題について書きたいと思います。尚、コメントは大歓迎です。批判等も受け付けております。もしコメントがあったら米返しをしたいと思います。